今日ニュースで小池都知事が今後コロナ感染状況によっては最悪首都封鎖の事態も有り得る、と報じられておりましたが、一般都民の反応としてSNSコメントの一部が紹介されました。その1つに「首都封鎖なんて言葉、はじめて見た」という行がありまして、そのコメントを見たときに何となく違和感を覚えました。
首都封鎖という映画にもなりそうな強烈な語句はさておき、コメント中にあった「言葉を見る」という表現について私の感想を述べさせて頂きます。古い人間だとお思いでしょうが・・・私は言葉は見るものではなく聞くものである、と解釈しております。
恐らくこの場合は、「(首都封鎖と小池知事が言っているのをニュースで)見た」或いは
「(何らかのメディアで首都封鎖というテロップを)見た」という事なんだろうと思い、
そうであれば特に取り上げる必要もなかろうか…とも思います。
ネットやスマホを介して会話する世代の人からすると、言葉はやはり見るものなのかもしれません。口語については文化・風習等の移り変わりで変化していくものであろうし、当然といえばその通りなんです。ただ、頭の固い古代人?としては、やっぱり違和感があるんですねぇ・・・
その他、未だ違和感のある言葉としては、
・ぜんぜん大丈夫!
・最も~のひとつ
などがあります。「ぜんぜん」は否定するときに使う言葉ですが、現在はこの使い方は肯定されているようですし、「最も~のひとつ」は使い方として間違ってはいないそうです。理由は欧文の和訳の関係だとか、日本語で名詞が複数とも取れる場合こんな使い方も許されるのだとか、いろいろです。
こんな風に感じているのは、型から外れると不安に感じる・・・ビビリ屋さんの私だけ?